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明治30年(1897年)に大阪市の寝具商の次男として生まれる。本名、佐竹徳次郎。
大正4年(1915年)18歳で京都の関西美術院に入門し、鹿子木盂郎に学ぶ。その後上京して藤島武二の指導する川端絵画研究所(旧:川端画学校)に入り、坂田一男や小山敬三といった画友に出会い交際を深める。
大正9年(1920年)、第2回帝国美術院主催美術展覧会(帝展)で、2作品を応募し、2点同時に入選するという快挙を成す。翌年の第3回帝展では特選を受賞し、まだ24歳という若さで画家として順風満帆のスタートを切る。当時親しくしていた坂田一男にセザンヌの画集を見せて貰い、その神秘的な深い画境と精神性に衝撃を受ける。
昭和15年(1940年)6月、初めて青森県の十和田湖を訪れる。以後、十和田湖と奥入瀬渓流に題材を求めて何度も通い、その年に開かれた紀元2600年奉祝展に出品した「奥入瀬」は、藤島武二の「蒙古高原」の隣に並べられ、宮内省買い上げとなる。その後も十和田湖、奥入瀬の風景を十数年に渡って描き続け、「渓流の画家」と呼ばれるようになる。
昭和34年(1959年)62歳の時、初めて牛窓のオリーブ園を訪れる。赤い土とオリーブの緑が織りなす牛窓の景観が、自身に大きな影響を与えたセザンヌが描いた地中海の風土と重なり、強く心を惹かれる。帰京するも再び牛窓を訪れ、瀬戸内の陽光につつまれて成長するオリーブや松をモチーフに、オリーブ園での制作をスタートさせる。昭和42年(1967年)、第10回新日展に「オリーブと海(牛窓)」を出品、この作品に対して翌年の昭和43年(1968年)に日本芸術院賞を贈られる。その後もオリーブ園にある「赤屋根」をアトリエとして40年近く絵を描き続け、数多くの作品を制作し「オリーブの画家」と呼ばれ親しまれる。平成10年(1998年)2月3日、満100歳でその生涯を閉じる。
(写真撮影:森勝正)
1897(明治30) |
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大阪市に生まれる。本名徳次郎。 |
1912(明治45) |
15歳 |
天王寺師範付属小学校高等科を卒業。 |
1915(大正4) |
18歳 |
京都の関西美術院に入り、院長鹿子木孟郎の教えを受ける。 |
1916(大正5) |
19歳 |
上京して藤島武二が指導する川端絵画研究所で学ぶ。 |
1917(大正6) |
20歳 |
第11回文部省美術展覧会(文展)に『清き朝』を出品。初入選する。 |
1920(大正9) |
23歳 |
第2回帝国美術院美術展覧会(帝展)でただ一人2点入選する。 |
1921(大正10) |
24歳 |
第3回帝展出品作『静物』で特選受賞。 |
1923(大正12) |
26歳 |
関東大震災に遭い、賀川豊彦の復興救済運動に参加。 |
1926(大正15) |
29歳 |
賀川豊彦から洗礼を受け、キリスト教に入信。 |
1927(昭和2) |
30歳 |
震災復興運動を通じて知り合った菊池千歳と結婚。 |
1929(昭和4) |
32歳 |
第10回帝展出品作『ダリア』で特選受賞。宮内省買い上げとなる。以後帝展無鑑査となる。翌年も特選受賞。 |
1940(昭和15) |
43歳 |
初めて奥入瀬を訪れ、以後約20年間奥入瀬渓流と十和田湖が制作の拠点となる。文部省等主催紀元二千六百年奉祝美術展覧会に出品し、宮内省買い上げとなる。 |
1945(昭和20) |
48歳 |
戦災に遭い、家屋・作品すべて灰塵と帰す。 |
1946(昭和21) |
49歳 |
戦災を契機に画家としての名を徳と改める。文部省主催第1回日本美術展覧会(日展)で特選受賞。同展審査員となる。以後9回審査員を勤める。 |
1959(昭和34) |
62歳 |
牛窓を初めて訪れる。 |
1963(昭和38) |
66歳 |
この頃から1年の大半を牛窓で過ごして制作に明け暮れる。 |
1967(昭和42) |
70歳 |
社団法人日展主催第10回日本美術展覧会(新日展)で内閣総理大臣賞を受賞。 |
1968(昭和43) |
71歳 |
第10回新日展出品作「オリーブと海(牛窓)」に対し、第24回日本芸術院賞を贈られる。 |
1969(昭和44) |
72歳 |
社団法人日展の理事に選出される。 |
1989(平成元) |
92歳 |
第1回中村彝賞を受賞。 |
1990(平成2) |
93歳 |
第42回岡山県文化賞を受賞。 |
1991(平成3) |
94歳 |
茨城県近代美術館で「鈴木良三・佐竹徳展」開催。岡山県立美術館で「佐竹徳展」開催。第24回岡山県三木記念賞受賞。日本芸術院会員となる。 |
1993(平成5) |
96歳 |
牛窓町名誉町民第1号となる。第51回山陽新聞賞受賞。 |
1998(平成10) |
100歳 |
2月3日逝去。 |
油彩・カンヴァス
64.5×90.0センチメートル 30号P
昭和30年代前半
油彩・カンヴァス
6号F
1960年(昭和35年)頃
油彩・カンヴァス
96.5×144.5センチメートル 80号P
1964年(昭和39年)
油彩・カンヴァス
112.0×145.3センチメートル 80号F
第7回新日展出品作品
油彩・カンヴァス
45.0×37.5センチメートル 8号F
油彩・カンヴァス
130.0×97.0センチメートル 60号F