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牛窓町の沿革

更新日:2020年12月16日更新 印刷ページ表示

名前の由来

「牛窓」は、万葉集に登場する古い地名です。しかし、「牛間戸」(『山槐記(さんかいき)』1179年)、「卯島津」(『海東諸国記(かいとうしょこくき)』1467年)、「宇嶋門」 (『室町幕府奉行人連署奉書』1552年)、「宇志間門」(『三藐院記(さんみゃくいんき)』1592年)、「うしまと」(『鹿苑院殿厳島詣記(ろくおんいんどのいつくしまもうでのき)』1389年)、 「牛窓」(『源頼朝下文(みなもとのよりともくだしぶみ)』1185年)などと古くはいろいろな漢字が当てられています。漢字には意味があり、筆者が牛窓の地を踏み、 漢字を当てたと考えると、「東の島の港」「家がある島の出入口」「四方が島に囲まれたあいだ」「関がある出入口」などと土地柄を読み取ることができます。

また、地名由来で有名なのは、神功皇后(じんぐうこうごう)伝説にまつわる話です。『風土記逸文(ふどきいつぶん)』に「神功皇后のみ舟、備前の海上を過ぎたまひし時、大きなる牛あり、 出でてみ舟を覆さむとしき、住吉の明神、老翁と化りて、其の角を以ちて、投げ倒したまひき、故に其の処を名づけて牛轉(うしまろひ)と曰ひき、今、牛窓と 云うは訛れるなり。」とあります。大きな牛が転んだ所を「牛転(うしまろび)」と呼ぶようになり、やがて訛って「牛窓」になったとのことです。

牛窓町の沿革

牛窓町の沿革
明治4(1871)年 牛窓村、大浦新田が合併し牛窓村が成立。
明治8(1875)年
12月27日
奥浦村、小津村が合併し長浜村が成立。
明治29(1896)年
2月26日
牛窓村が牛窓町として町制を施行。
大正13(1924)年
4月1日
鹿忍村が鹿忍町として町制を施行。
昭和29(1954)年
10月1日
牛窓町、鹿忍町、長浜村が合併し牛窓町が成立。
昭和30(1955)年
3月31日
大宮村千手地区を牛窓町に分村合併。