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邑久町の沿革

更新日:2020年12月16日更新 印刷ページ表示

名前の由来

「邑久」という地名は、大変古くから郡名等で使われてきました。「邑久」と表記するようになるのは、和銅6(713)年に地名をおめでたい意味の二文字で記すよう定められてからです。 それ以前は「大伯」や「大来」などと書いていました。『和名類聚抄(わみょうるいじょうしょう)』という平安時代の辞典には、「邑久」と書いて「おほく(おおく)」と 発音したことが記されています。最近の研究で、「大きな区域」を意味する地名ではないかという説が出されています。

6世紀ごろ、今の岡山県東南部を治めていた豪族が「大伯国造(おおくのくにのみやつこ)」でした。その勢力範囲が邑久郡となるのですが、 和気郡などももとは邑久郡の内だったと考えられています。邑久郡は当初、まさに広大な郡だったのです。

このように、1400年以上前から使われてきた「おく」の名は、明治22(1889)年に成立した「邑久村」にも採用され、昭和27(1952)年には「邑久町」に引き継がれました。

邑久町の沿革

邑久町の沿革
明治22(1899)年
6月1日
長沼村、大窪村、豊原村が合併し豊原村が成立。
尾張村、山手村、山田庄村、豊安村が合併し邑久村が成立。
福元村、百田村、宗三村、豆田村、福中村が合併し福田村が成立。
大富村、福山村、向山村、北島村が合併し今城村が成立。
上山田村、下山田村、本庄村が合併し本庄村が成立。
上笠加村、下笠加村、箕輪村、北池村が合併し笠加村が成立。
尻海村、庄田村が合併し玉津村が成立。
虫明村、福谷村が合併し裳掛村が成立。
昭和27(1952)年
4月1日
豊原村、邑久村、福田村、今城村、本庄村、笠加村が合併し邑久町として町制を施行。
昭和28(1953)年
2月1日
大字長沼が西大寺市へ分離。
昭和29(1954)年
1月1日
玉津村を合併。
昭和33(1958)年
4月1日
裳掛村を合併。