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長船町の沿革

更新日:2020年12月16日更新 印刷ページ表示

名前の由来

「長船」は、古来から名刀の産地として知られ、名工を数多く輩出してきました。文応(1260〜61年)の年紀が刻まれている助近(すけちか)の刀に「備前国長船住人平助近」、 文永9(1272)年の年紀が刻まれている守家(もりいえ)の太刀に「備前国長船住守家造」などがあるのをはじめ、数多くの国宝の指定を受けている名工長光(ながみつ)の正応2(1289)年6月日の年紀が刻まれている 刀剣には、「備前国長船住左近将監長光造」などが見られます。

鎌倉時代末期には、元重(もとしげ)・則光(のりみつ)・景光(かげみつ)、室町時代の勝光(かつみつ)・清光(きよみつ)、江戸時代の祐定(すけさだ)などの名が知られます。このように鎌倉時代後期以降、備前長船の刀工の 多くは刀剣の茎に居住地として、「長船」を刻みました。

「長船」の名は、江戸時代から「長船村」として岡山藩に属し、明治4年廃藩置県により岡山県の所属となり、明治22年に行幸村の大字となり、昭和30年に行われた美和村・国府村・行幸村の合併で成立した「長船町」で採用されました。

長船町の沿革

長船町の沿革
明治22(1899)年
6月1日
飯井村、東須恵村、西須恵村が合併し美和村が成立。
牛文村、磯ノ上村、福里村、土師村が合併し国府村が成立。
服部村、長船村、八日市村、福岡村が合併し行幸村が成立。
昭和30(1955)年
3月1日
美和村、国府村、行幸村が合併し長船町として町制を施行。