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永倉山の山頂に数多くの石が積み重ねられた供養塚は、孝謙天皇の病を祈祷により治し、備前国に四十八ヶ寺を建てることを許され建立し、延暦14年(795)に亡くなったといわれる報恩大師の墓地と伝えられています。この墓所は奥の院と呼ばれ、『千手山弘法寺略縁起』によれば、弘法寺の奥の院としてだけではなく、備前国四十八ヶ寺の奥の院でもあったとあります。
市指定 弘法寺 報恩大師供養塚
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