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長船と備前刀
更新日:2020年12月16日更新
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1.良質な原料、燃料が手に入りやすい土地柄だった。
中国山地で採集される砂鉄(赤目(あこめ))が日本刀を作るのに適していたことと、砂鉄から玉鋼(たまはがね)を作るためのタタラに必要な強い火力を生むクヌギ系の木が自生していました。そして、刀鍛冶の火床(ひどこ)には火力の強い赤松の炭が使われていました。
赤目砂鉄
2.交通の要所だった。
吉井川(岡山県三大河川のひとつ)が南北に流れ、高瀬舟による舟運が早くから開けていました。北の中国山地との交通の基幹として、刀づくりに欠かせない材料や燃料をもたらせてくれました。東西には山陽道があり、人、物、流通、文化の交流地点として、さらに、瀬戸内海の海運は長船から全国に備前刀を流通させました。
(江戸中期)
高瀬舟
3.福岡の市という流通拠点が存在した。
一遍上人聖絵(いっぺんしょうにんひじりえ)で有名な鎌倉時代の長船の市(いち)。当時の山陽道もこのあたりを通っていたようで、人、物、情報の集積地であったことが伺えます。当時の状況はその聖絵で紹介されていますが、刀剣をはじめ、当時の時代状況や、風俗、建物の構造、器物、流通商品まで表現されています。
一遍上人聖絵